炎の人”フィンセント・ヴァン・ゴッホ”

ヴィンセント・ヴァン。ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)(1853-1890年)は、外界の光の効果を追求した印象派とは一線を画し、ゴーギャンやセザンヌと並んでポスト印象派を代表する画家。また表現主義の先駆けとも言われる

※ポスト印象派は「後期印象派」と訳されるこが多く、印象派の一部のような印象を受けるが、これは誤訳だとも言われている。ポスト印象派は、印象派の後に続くといったニュアンス。



「炎の人 ゴッホ小伝」(三好十郎訳)より抜粋。

 

それから二年 
また病気が出て 
二度三度と入院し、 
少し良くなっては退院するが、 
また自ら望んでサン・レミイの脳病院の三等に入院し、 
やがてオーヴェルの医師ガッシェのもとに移り、 
一八九〇年、明治二十三年七月、 
オーヴェルの丘で自ら自分の腹に 
ピストルの弾をうちこむまで 
あなたは描きつづける。 

あなたの頭は時々狂ったが 
あなたの絵は最後まで狂わない。 
脳病院の庭で、発作の翌日描いた絵でも線と色はたしかだ。 
絵はあなたの理性であり、 
絵はあなたの運命であった。 
運命のまにまに、あなたは燃えて白熱し、飛び散り、完全に燃えつきた。 
最後の時にあなたはテオの手を掴んで 
もう俺は死にたいと言った。 
もう俺は死にたいと…… 

ヴィンセントよ、 
貧しい貧しい心のヴィンセントよ、 
今ここに、あなたが来たい来たいと言っていた日本で 
同じように貧しい心を持った日本人が 
あなたに、ささやかな花束をささげる。 
飛んで来て、取れ。 

苦しみの中からあなたは生れ 
苦しみと共にあなたは生き 
苦しみの果てにあなたは死んだ。 
三十七年の生涯をかけて 
人々を強く強く愛したが 
やさしい心の弟のテオをのぞいては 
誰一人あなたを理解せず、愛さなかった 
あなたはただ数百枚の光り輝くあなたの絵を 
世界の人々にえがき贈るだけのために 
大急ぎに急いで仕事をして 
生涯を使い果した。 
絵を描く時の歓喜だけがあなたの生甲斐で 
あとは餓えと孤独と苦痛ばかりであった。 

そして、あなたの絵は 
今われわれの前にある